この記事を開いていただいてありがとうございます。
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突然ですが質問です。
この記事を開いた理由は何ですか?
心はこうして創られる
- 人は何らかの理由をもって行動を選択しています。
- その選択は、その人の心の中にある様々な考えによって決まります。
- 考えている本人であれば、それらの考えを仔細に調べて、説明することができます。
と、思いがちですが実は違うのです。
というのが本書の基本的な主張です。
行動の理由を説明するのは「即興」である
“人の行動には理由があって、その理由は自分で説明できるものである。”
という一般的な直観があります。
しかし本当にそうでしょうか?
例えば、
- あなたが今の会社に入った理由は?
- あなたが昨日の夕食でそのメニューを選んだ理由は?
こういった質問には答えられるでしょうか?
ではもう一つ質問します。
1つ目の質問の答えは、この記事を読む前に頭の中に思い浮かんでいましたか?
僕の予想はこうです。
質問されてから、答えが思い浮かびましたよね?
脳の中ないしは心の中には常に答えがあって、それを探索して取り出してくると思われているようですが、実際には「その場で考えている」というのが筆者の主張です。
本書内では、「自ら命を絶った小説の登場人物」の心情を推し量るという思考実験を経て、「実在しない登場人物の心情を推し量るときの思考と、自分自身の心情を”読み出して”語るときの思考は同じものである」と主張します。
人間は1つのものしか知覚できない
本書ではさまざまな研究を引いて、人間の認知についての研究が紹介されています。
たとえば以下のような実験があります。
熟練のパイロットをフライトシミュレータに搭乗させ、計器類に注目しながら着陸の操作を行ってもらう。
しかし画面上には、滑走路上にほかの旅客機がいる状況が映し出されている。
映像を見て回避行動を取れたパイロットが大半ではあったが、熟練のパイロットの一部は映像に気づかずに着陸行動を続けてしまった。
他にはこういった実験もあります。
普段から車を運転するドライバーにシミュレータを操作してもらい、運転中にブザーが鳴るので、鳴った回数が1回だったか2回だったか報告してもらう。
ブザーが鳴った時に前の車が減速を始めたシーンでは、明らかにブレーキの踏み始めに遅延が見られた。
上記の例を要約すると、以下のように人間の限界が示されていると筆者はいいます。
- 人間は1つのことに集中しているあいだ、他の事はおろそかになる
- 目で見る(前の車の減速)と耳で聞く(ブザーが1回または2回鳴る)といった、一見同時にできそうな作業であっても、明確に「ブレーキを踏む」という判断・操作の邪魔をしている
本書では、このような現象が起きる根拠として
脳には膨大な数の脳細胞が相互に繋がり、電気的に活性化することで機能しているため、同時に複数のことを考えると「ほかの電気信号を邪魔する」ことが避けられないためである。
と説明しています。
人は興味のあることだけを知覚する
これは本書に書かれているメインの主張とは外れますが、
脳科学で使われる言葉で、最近ビジネス書でもよく登場する「RAS(脳幹網様体賦活系)」という脳内機序があります。
つまり、興味を持ったことを脳は検知しやすいといったものです。
- 新しいカバンが欲しいな、と思っているときは、町ゆく人たちのカバンが気になる
- 最近知った新しい言葉を、仕事や生活で急に見かけるようになる
このような経験は、誰しもあるのではないでしょうか?
これはRASのしわざであると言われています。
ところで、本記事の2行目に4桁の数字を置いておいたんですが、見えてましたか?
今考えていることのほかは、何もない
4桁の数字は見つかりましたか?
ではひとつ質問です。
その数字は、いま、あなたのデバイスの画面に表示されていますか?
多分、スクロールしないと表示されないのではないでしょうか。
スクロールしたら上の方にある という感覚は、我々の認識が生み出す幻想です。
だって、よく見てください。
あなたのPCやスマホの周囲には空間があるだけで、画面の上に記事の続きがあるわけではないのです。騙されてはいけません。
本書では、脳の活動もこれに似ていると言っています。
つまり、今考えていることは一瞬前に”無かった”ことであり、さっき説明した「今の会社に入った理由」だって、もしかしたら今はもう考えていないかもしれません。
もちろん今もういちど、あなたがそれらの質問の答えに考えを巡らせたなら、脳は驚くべき速さでそれを用意します。あたかも最初からそこにあったように、です。
一瞬一瞬を「解釈」する力
脳のはたらきを見る
人間の脳はとても強力な計算機能を持っています。しかし、その計算機能の仕組みは現代のコンピュータのものとは大きく異なります。
コンピュータの計算機能は、その圧倒的な「計算回数」に支えられています。1秒間に数億回といった規模で簡単な計算を行い、その結果をさらに計算し…といった仕組みで、コンピュータは計算しています。
一方で、人間の脳は1秒間に数億問の計算問題を解くことはできません。せいぜい簡単な足し算で秒間2〜3問できれば早い方でしょう。
しかし、人間の脳には単純な計算の集合では測ることのできないパワーがあります。具体的には、「知覚した物を解釈する力」です。
そこに無いものが「見える」
本書では具体例として、「そこにない図形を見る力」があげられています。
どういうことか、「カニッツァの三角形」を見ていただくとわかりやすいと思います。
本書内で提示されている例は別のものですが、言いたいことは同じで「そこに書かれていないはずの図形がハッキリと見える・感じられる」といった現象があることを示しています。
この現象は、脳が「今ある情報から推論に推論を重ねた結果」であるといいます。
このように「推論する力」は脳という計算機の持つ力の特徴です。
そして、脳と同じことをコンピュータ的な計算手法で再現するのは非常に難しいのです。
表情を「読む」能力
本書内で示されている、人間の表情を読む力についての実例をもうひとつ紹介します。
ロシア生まれの無声映画スター、イワン・モジューヒンを映したカットを、クレショフは三種類の映像に挿入した。
棺桶の中の死んだ子供、一皿のスープ、そして寝椅子に横たわる若くグラマーな女性。
悲しみ、食欲、そして好色さを巧みに演じ分けたモジューヒンに観客は感嘆した。
ところが、モジューヒンの演技は巧みだったどころか、演技なんてまるで存在していなかった。まったく同一のカットが使われていたのだ。
それぞれに情緒を帯びた三種のシーンにこの無表情に近い顔を差しはさむと、観客はモジューヒンがどんな気持ちなのかという自分の解釈を押しつけたのである。
ニック・チェイター; 高橋達二; 長谷川珈. 心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学 (講談社選書メチエ) (p.160). 講談社. Kindle 版.
これは、まったく同じ「無表情の男」の映像を見せられていても、前後の文脈が「死んだ子供」なのか「美味しそうなスープ」なのか「綺麗な女性」なのかによって、その「無表情」から読み取る感情が異なることを示しています。
つまり、人間には文脈から「ひとの表情」を類推する能力があるということになります。
しかし、その類推をしていることに多くの観客は気づかず、あたかも「演者の演じ分けが素晴らしく、シーンに応じた絶妙な表情を出している」と評価したというわけです。
それほどまでに脳の類推能力というのは素早く、我々の気づかないうちに仮説を立て、解釈を行っている、というのが、本書で述べられていることです。
無意識的な思考など無い
「無意識のうちに」といった言葉は、いまや一般的に使われます。
どれだけ考えても答えの出なかった難問に向き合ったあと、シャワーを浴びているときに革命的なひらめきを得るといった経験から、無意識が自分の裏側で何かを考えてくれるといった感覚がなんとなくわかる人もいると思います。
一方で、何らかのミスをしたときに「つい無意識で操作をしてしまい、ミスにつながりました」といった説明がなされることがあります。
このように、大きなひらめきを提供する一方で、ミスの犯人にもされることのある「無意識」といったものを、本書では「そんなものは無い」と一蹴しています。
脳は一瞬ごとに世界を知覚する
ここまで見てきたように、脳は「1つのものにしか集中できない」「一瞬ごとに知覚したものを解釈している」という特徴をもっています。
脳全体で一千億個ものニューロンが百兆カ所で互いに結合していることによって生み出される解釈・類推の能力です。
脳の特定領域の何億個ものニューロンが互いに電気信号を交換することで思考が生まれているという考え方は、「同時に他のことを考えられない」といった脳の特性とも辻褄があいます。
(電気を流しているところに別の電気を流しても、同時に複数の処理ができるわけがない。 “電源オンの電球の電源を入れる” ところを想像してみましょう)
まとめると以下のようになります。
- 脳は、脳全体または一定の領域を使って思考をするため、同時に複数のことをこなすことはできない
- 脳は、その圧倒的な数のニューロンの連携によって、我々自身が気づかないほどの速さで世界に「解釈」を行い、無いはずの三角形が見えたり、無表情の顔を見てどんな気持ちかを類推する。
このように、脳には我々自身も気づかないうちに「知覚した部分に集中して、その部分から世界を解釈する」力があるということがわかります。
この力を使って、自分の記憶を思い返すとき、本当に「その当時に感じたことをそのまま思い出している」と、本当に自信をもって言えるでしょうか?
いま思い出したその記憶は、本当にパソコンの中の動画データのように、当時の映像を再生したものでしょうか?記憶に対して解釈を加えた結果ではないと、誰が証明できるでしょうか?
記憶は当時の記録映像ではない
たとえば、動物園に行ったことがある方は多いでしょう。
そこでトラを見た記憶がある方は、それを思い出してみてください。
思い出しましたか?
では、その虎の縞模様は縦向きでしたか?横向きでしたか?縞模様の太さは?数は?
後脚の付け根あたりの縞模様は、脚に沿ってどのように配置されていましたか?
前脚の縞模様はどのように配置されていますか?実際に描いてみてもらえますか?
本当に記憶が「映像」であるならば、今からそれをじっくり検分することで、上記の質問には答えられるはずです。しかし、実際にはそれは難しいでしょう。
それでも、なんとなくその時のことは覚えていますよね。このギャップは何なのでしょうか。
つまり記憶は実際の映像ではなく、
「トラを見た」という当時の記憶に対して「こんな感じだった」というぼんやりしたイメージを「いま付与している」というのが、本書で主張されている脳のはたらきです。
本当に「脳にプールされた情報を取り出している」のであれば、このことに説明がつきません。
まとめ
本書の大まかな主張をざっくり書いてみました。
脳に関する我々の直観は面白いほど外れていて、
どうやら我々が思いもしない限界があって、思いもしない機能があるようです。
かなり突飛な提案ですが、個人的にはかなり腑に落ちる内容でした。
もしこの記事が面白くなかったら、ちゃんと面白い本書を手に取って欲しいですし、
もし面白かったら、もっと面白い本書を手に取って欲しいです。
Kindle Unlimitedに加入していれば無料で読めます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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