この記事の要約:
- 現代人の「働きすぎ」信仰は、18世紀の労働者階級への支配が発端となっている
- 労働倫理と休息倫理は呼吸に似ている。息を吸い続けることはできない
- 休むことで、仕事でももっと成果を上げることができる
燃え尽き症候群
「燃え尽き症候群」という言葉があります。
個人的なイメージでは、「何かに没頭していた人が、それをやり遂げたあとに空虚な気持ちを感じる」といった意味合いだと思っていたのですが、「頑張りすぎて体力がつきて体調を崩す・力尽きる」といった意味合いもあるようです。
燃え尽き症候群は、医学的には「うつ」の症状の一つとも考えられているほど大きな問題です。
しかも、誰にでも起こる恐れがあります。
なぜ人は燃え尽きてしまうのでしょうか?そして、どのようにそれを防ぐことができるのでしょうか?
そのヒントをくれるのが、『TIME OFF 働き方に“生産性”と“創造性”を取り戻す戦略的休息術』です。
この本を書いたのは「日本で働いていて、日本の働き方に疑問を持った外国の人」で、決して日本の現状を批判することが目的ではないし、日本人のことを悪く言っているものではありません。
著者は日本が好きで、日本で働くことが好きだからこそ、持続可能な働き方がもっと浸透することを願って本書を書いたといいます。
はじめに、本書を読んでタイムオフを実践するにあたっては、「適切な方法は人によって違う」ことを肝に銘じておきましょう。
本書には膨大な数のTIME OFFが紹介されています。
自分にあったもの、参考になるものを探してみてください。
2000円という価格の割に情報量が多く、面白い本なのでおすすめの1冊です。
要約していきましょう。
TIMEOFFとは
まず、本書のテーマでもある「TIME OFF」という用語について紹介します。
“Time off” という言い回し自体は、英語で”余暇” や ”仕事を休む”といった意味があります。
要するに、ひとことで言えば「休もう」ということです。
「休む」と聞いて、「何もしない」「ゆっくりする」「ごろごろする」といった状態をイメージする人も多いでしょう。
しかし、本書ではそういった「ただ何もしない」といった時間を「休み」と定義しているわけではありません。
本書内で「休日」と言わずに、敢えて「タイムオフ」というカタカナの固有名詞として使っていることからも、「これまでの”休日”の概念とは違うもの」というイメージを伝えたいという意図が感じられます。
タイムオフとは「休んで、他のことをする = 余暇の時間」という意味合いで使われています。
なぜ休めないのか
タイムオフを取る方法を紹介する前に、現代人がうまく休めなくなっている原因から紹介しましょう。
現代においても「たくさん残業して身を粉にして働く」ことを美徳とする人は多く存在しています。
そもそも、なぜそのような意識を持つようになってしまったのでしょうか?
ワーカホリック誕生の歴史
働きすぎを誇るようになった労働者
キリスト教プロテスタントの影響
時は遡り18世紀、上流階級のプロテスタント(キリスト教徒の一派)たちは、宗教にかこつけて仕事を正当化・神聖化しはじめます。
下層階級の人たちはとにかく仕事をするべきで、時間を無駄にしないで働くことこそが神聖な行いであると説きました。
この教えが転じて、まず「仕事をせず余暇を過ごすことは悪である」という労働倫理が生まれます。
勤勉な人は素晴らしい人で、働かない人は蔑まれるべきであるというイメージです。
さらに、このような考えが根付いた19世紀初頭には、働いて生産的であることが道徳的に最善であるとされるようになります。
転じて、身を粉にして働く労働者は、働かない雇用主より自分たちの方が崇高であると考えるようになります。
宗教的な影響が消え、労働倫理が残った
やがて宗教の影響が弱まったあとも、労働者を雇用する側のエリートの中で、「働かないことは時間の無駄である」といった、「時間」を軸にした感覚が根付き始めます。
そこでは労働者の「時間」をお金で買い取るという意識が一般的なものになっていきます。
すなわち、現代の「時給」や「雇用契約で8時間働く」といったものに近い考え方です。
そこでは、労働者たちは「仕事が早く終わっても、雇われた時間の間はそこで無駄に忙しくしていないと罰せられる」という状況に置かれることになります。
本来、労働の成果に対してお金を払っていたのに、時間に対してお金を払うスタイルに変化していった点がポイントです。つまり、「成果が上がったか」ではなく、「その時間拘束されていたか」が重要であって、皮肉なことに「成果」が不要になっていきました。
フォードの成功
その後19世紀の終わり頃、労働者たちが声をあげ、労働のあり方は変わっていきます。
20世紀に入り1926年、ヘンリー・フォードは自社における週の労働日数を5日、1日の労働時間を8時間と定め、他社に大きな差を付けて素晴らしい結果を出しました。
その12年後の1938年、アメリカは公正労働基準法を制定し、週の労働時間は44時間に制限されます。
そして日本でも昭和22年(1947)年に労働基準法が制定されることになります。
フォードはこの時、「8時間でも本当は働きすぎだ」と述べ、「技術の革新によって、人々の働く時間はもっと短くなっていくだろう」という予想を述べていました。
深く刻まれた労働者の道徳
フォードの楽観的な予測はご存知の通り、実現しませんでした。
現代ではいまだに働きすぎの人が多くいて、労働時間を減らすべきだという本書のような訴えはあくまで「現状に背くもの」の立ち位置から脱していません。
18世紀から19世紀にかけて刻まれた「働くことが道徳であって、働かないことは悪である」という道徳感は、21世紀になっても消えることはありませんでした。
労働基準法の「1日8時間」といった基準は100年近く変わっていませんし、8時間を超えて残業をするのが「社会人の常識」であるという認識を持つ人も多いでしょう。
労働倫理と休息倫理
前の章で紹介したような「労働者の道徳」は、「労働倫理」と呼ばれています。
勤勉な態度で働くことが正しく、時間を無駄にせず働くことが正しい
のような、「どう働くのが正しいのか」といった考え方の部分です。
現代の労働倫理
現代人は「労働とはこうあるべき」という倫理観をもっています。
例えば以下のようなものがあります。
- 仕事には一生懸命うちこまないといけない
- プライベートより仕事が優先である
- 残業して頑張っている人が賞賛される
- 残業せず定時で上がる人は「やる気がない」と思われる
- 休みの日でも仕事があれば出勤しなければならない
しかし本書では、それらは「良い労働倫理ではない」としています。
長時間働く人は成果をあげているか
実際に残業して長時間働いている人の多くは、「長時間働くこと」に比重を置くことが多く、たとえば12時間働いた人が8時間の1.5倍の成果をあげているかというと、必ずしもそうではないでしょう。
イメージとしては、速いペースで8時間走る人と、ゆっくりしたペースで12時間走る人がいるところを想像してください。
どちらも同じ距離を走るとしたら、8時間で走り切る方が生産性が高いわけです。
しかし現代日本では、長時間働くことによって生産性と関係のないインセンティブが働きます。
つまり以下のような状況です。
「2時間で終わる仕事を、不慣れなために4時間頑張ってやり遂げた人」と、
「2時間で終わる仕事を、手際よくこなして1時間で片付けた人」を比べたら、
上司や周囲から高く評価されがちなのは、前者の「時間をかけて頑張った人」である。
もちろん全員がそのような考え方をするわけではありませんが、イメージはできるのではないでしょうか。
そして、「それならば仕事時間をできるだけ長時間に伸ばして過ごす方が合理的」となってしまうわけです。
その結果、仕事に長い時間を投下しているのに先進国の中でも最低レベルの生産性を叩き出しているのが日本の現状です。
一方で、長時間を速いペースで走る、エリートなワーカホリックもいるでしょう。
しかし、こういった働き方は長期間続けることはできない。と本書では述べていて、
1日18時間バリバリに働いていた女性が、ある日、頬骨を骨折した状態で血まみれになっているのを自身のオフィスで発見され、休暇の必要性に気づく。といったエピソードも紹介されています。
まとめると以下のようになります。
この表を見ると、「適切な時間働いて、成果を出す」が最善の方法であると言えるでしょう。
成果を出す | 成果を出せない | |
長時間働く | 持続可能ではない。 限界が来て倒れる | 働いた時間で評価される、いまの日本 長時間働くので自己研鑽の時間もない |
適切な時間働く | 理想的な状態。タイムオフを通してこれを目指そう | 成長の余地があり、そのために自己研鑽する時間がある |
良い労働倫理とは
良い労働倫理とは、以下のように紹介されています。
ジェイソン・フリードとデイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソンは、良い労働倫理とは死にもの狂いで働くことではないのだと示し、次のように定義している。
「良い労働倫理とは、呼び出されたらいつでも仕事をすることではない。良い労働倫理とは、やると言ったことをちゃんとやることだ。その日の分の仕事に取り組み、仕事に敬意を払い、顧客や同僚を敬うこと。そして、時間を無駄にせず、他人の仕事量を増やさず、邪魔にならないことだ」
いずれも「長時間働くことが、より尊い」とか「プライベートより仕事が優先されるべき」といった考え方から離れ、仕事にきちんと向き合うことに集中していることが特徴です。
きちんと働くことと、自分を犠牲にすることを同一視してはいけません。
休息倫理
労働倫理の対義語は、「休息倫理」です。
どのように働くのか?を考えるのが労働倫理だとすれば、
「どのように休むのか?」を考えるのが休息倫理です。
本書内では、労働と休息の関係を呼吸に例えています。
労働が息を吸うことだとすれば、適切な休息は息を吐くことにあたります。
息を吸い続けることができないのと同じように、労働には休息が必要です。
考え方 | メタファー | 改善することで見込まれる効果 | |
労働倫理 | どう働くか | 息を吸う | よりよく働くことで、生産性を発揮する |
休息倫理 | どう休むか | 息を吐く | よりよく休むことで、仕事にもプラスの影響を生む |
「息を吸うためには、吐き出さなければならない」
これを言い換えれば、「きちんと働くためにこそ、休息が必要」ということになります。
しっかりした休息倫理があると、インスピレーションやアイデア、力が湧く。やる気がみなぎり、情熱を大切にできる。 新しい視点を得ることは、息を吐くことだ。
自由な発想とひらめきを得ることや、刺激的なアイデアに触れてワクワクすることも、息を吐くことだと言えるだろう。
そして、きちんと息を吐き切れば、次はより深く吸える。休息倫理と労働倫理は直結しているのだ。
どう休むのか?
しっかりとした休息倫理にもとづいてタイムオフを取るには、どのようにすればよいのでしょうか。
それぞれのタイムオフ
本書で語られるタイムオフの形は千差万別で、人によって形が異なります。
たとえば山にハイキングに行ったり、作品を創造したり、
楽器を演奏したり、睡眠時間を確保したり
運動したり、旅に出たり。
どのような方法であれ、自分に合った方法を探すことが大切です。
タイムオフを取る=仕事を軽視すること ではない
本書は「休もう、ほかのことをしよう」という提案をしていますが、これは決して「仕事で楽をしよう」「仕事を頑張らないようにしよう」と言っているのではありません。
むしろ逆です。
仕事をよりよく頑張るためには、タイムオフが必要だと言っています。
散歩中にアイデアが浮かんでくると述べている歴史上の偉大な音楽家・学者はたくさんいて、本書内でも多くのストーリーが紹介されています。
机にかじりつくのではなく、外を歩いているときに、素晴らしい発見が生まれるようです。
「できれば」ではなく「必要」と捉える
生産性を発揮するためにも、タイムオフは必要なものです。
タイムオフ(余暇、休み、睡眠時間といったもの)は、オプションの贅沢品ではなく、必要なものだと捉えることを本書では薦めています。
「余暇」と「なにもしない」の違い
メンタルの回復には「変化」が必要
一般的に「休む」と聞くと、ソファでごろごろしたり昼まで寝ているなど、ゆっくりすることを想像する人もいるでしょう。
しかし、肉体労働者ならまだしも、デスクワーカーにとって「何もしない」ことで体は休むことができても、脳・メンタルは回復しにくいといいます。
現代のナレッジワーカーの脳の疲れを取るには、「べつのことをする」という時間=余暇 が必要だということです。
今の時間を大事にする
本書内で紹介されていた考え方の中で、個人的にもっとも好きな部分を紹介します。
今を「未来から見た過去」と捉えていないか
- 未来のために貯金しないといけない
- 昇進のために今は無理して働かないといけない
- 若いうちの苦労は買ってでもしろ
このように、「今よりも未来に価値がある」というような考え方は、ある程度一般的なものでしょう。
しかしよく考えると、その考え方において、出口はどこなのでしょうか?
将来のための貯金をしなくてもよくなる日は、おそらく死ぬ日でしょう。
たくさんの貯金を遺して死ぬのが、幸せなのでしょうか。
死ぬ気で働いて昇進できたならば、
給与が多少上がったり、仕事で成功したと実感できるでしょう。
しかしそれも、定年退職や転職、会社の倒産などさまざまなイベントで、すべて過去のものになります。
哲学者、アラン・ワッツは以下のように述べます。
「『時計の時間』は私たちの地図に縦線と横線を引くけれど、地球にそんな線は引かれていない。文明化された社会での、ただの共通の測りにすぎない」
「時間にとりつかれると、今という地点は未来から見た過去でしかなくなる」
原題『Does It Matter?:Essays on Man’s Relation to Materiality』未邦訳
ワッツは他にも、「未来のことは味見したり、感じたり、匂いを嗅いだり、楽しんだりできない。それを追いかけるということは、常に後ずさりする亡霊を追い続けることと同じ」といった示唆に富んだ発言を残しています。
未来ばかりみて、今をないがしろにすることに対して警鐘を鳴らしているわけです。
未来重視思考の落とし穴
この「未来だけを重視し、今を軽視する思考」は、「今の時間を無駄にせず働き、未来のために備えるべき」という思考に隣接していると言えます。
そして、「時間を無駄にせず働く=忙しく長時間労働する」へと繋がっていきます。
さらに、これが転じて
「過剰に忙しくしている=今を犠牲にしている=未来のために時間を使っている」
という感覚に陥るわけです。
未来のために時間を使う=忙しくする ではないことは明らかなのにも関わらず、このような錯覚に陥り、寿命と健康を犠牲にし、低い生産性を垂れ流しながら人生を浪費しながら生きることになります。
タイムオフで今を大切にする
未来を重視するあまり今を軽視する傾向から脱するには、タイムオフを取ること、すなわち「遊ぶこと」が大切です。
例えば、友人と夢中になってテニスをしているとき、
「今走ったら筋肉痛になって明日の仕事に差し支えるだろうから、ほどほどにしよう」
とか、考えている場合ではないでしょう。
例えば休日にロッククライミングをしていて「いま手を離せば死ぬ」という状況下で、
「そういえば明日の会議の資料ができてないから明日早く出勤して資料を作らないと」みたいな考えがよぎることは少ないでしょう。次の動作に集中しないといけません。
夢中になって何かをするというのは、一つのタイムオフの形です。つまりそれは「後先考えない」ことでもあり、突き詰めれば「今を大事にしている」行いであると言えます。
このように、「未来重視で生きている自分を、いまに連れ戻す」という側面も、タイムオフにはあります。
日本のための本
正直に告白しますと、はじめに本書を手に取ったとき
「どうせ海外で、夏に一ヶ月バカンス取れるような環境のヤツが、理想論を述べる本だろう」と思って、ページを開きました。
しかし、実際には全く違いました。
日本で働く外国人の気付き
本書の著者はジョン・フィッチとマックス・フレンゼルという2人の外国人で、もとは英語で書かれた本です。
ですがこの本は、日本で働く外国人によって、日本で生まれた本です。
低さを現場感として実感し、疲れ果て燃え尽きる同僚たちを目の当たりにしてきました。
そしてマックス自身も終わりのない忙しさに燃え尽き、
思い切って休みを取って東北へ旅行に行ったところから、本書の構想はスタートします。
タイムオフについてたくさんの学びを得て、歴史上でタイムオフによって成功してきた偉人たちの物語をたくさん集めて出来たのが、この本です。
単に「残業を減らして働きすぎをなくそう」というような時間数の調整にとどまらない、
本当のワーク・ライフ・バランスの可能性があると感じました。
とてもドラマチックで面白い本でしたので、ぜひ内容が気になった方は本書を手に取っていただけると幸いです。
本日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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