昔は大好きだったのに、今は長い小説が読めない。
昔は大好きだったのに、なぜかRPGをする気にならない。
ソシャゲのストーリー部分は読み飛ばし、ガチャと育成、リソースの回収にばかり手を動かす。
こういった現象って、多くの人が経験していると思うんです。
その理由の一端と、それを解決するための提言が述べられているのが、この本です。
※本記事の記述は、筆者の主張を必ずしも正確に述べているわけではなく、いち読者の感想です
読書=ノイズという捉え方
本書内では、読書の歴史と労働の歴史が関連づけられながら解説されています。昔は「エリート男性のもの」だった読書は、さまざまな歴史を経て一般に普及しますが、その当時は「知識を得るための行為=読書」でした。
そしてあるとき、「知識を得るためではない、娯楽のための読書」が生まれます。
そういった娯楽のための読書も、当時はそれが「知識だけを得る本」とは異なった理由で必要とされ、広まったという歴史が解説されています。
ここで興味深い考え方は、「知識だけを得る本」と「そうではない本」では、まったく違う体験であることを本書が主張している点です。
つまり、小説のように「知識だけを得る本ではない本」を読む行為は、登場人物の感情やさまざまな思いがけない展開などの「読者の予想を裏切る内容」が多分に含まれます。そして、本書ではこういった「予想外のこと」を「ノイズ」と呼び、忙しい現代人はこの「ノイズ」が許容できなくなっている、というのです。
ノイズのない自己啓発書・ビジネス書は読める
この主張には、ビジネス書を読み漁っている僕もぐうの音も出ませんでした。
自己啓発書には、「思い通りのこと」しか書いていない。たとえば「仕事が速くなるメモ術」という本があったとしたら、それは「仕事が速くなる」ことを目的に「メモ術」を覚えるという内容と、それに関連するいくつかの実体験や根拠のようなものが述べられているのが主でしょう。
つまり、自己啓発書を「必要な情報」として摂取する行為は、本書で言われる「読書」とは本当の意味では異なっています。
著者はあくまで「(ノイズを含む)読書を楽しめなくなる現代人」を出発点に、同様の問題(RPGに取り組めない、長い小説や映画がつらい、ゲームが楽しめない)についても応用できる考え方として「ノイズ=自分の予期しない感情や情報」への耐性が低下していることについて述べているものです。
全身全霊は、考えなくていいし楽
最後に、本書の中で個人的な主張を紹介します。
ノイズを含む本を読めなくなる背景として、現代人は全身全霊で仕事をすることを求められている、というかむしろ個々人が、「自分自身に対して全身全霊であることを課している」ことが原因であると述べられています。
仕事は8時間、週5日でないと正社員ではない。それ以下だとパートタイマーや非正規雇用である。といった常識は、社会だけでなく各個人にも価値観として染み込んでいます。
さらに、不況によりひとりあたりの負担が増したにもかかわらず、不要なブルシット・ジョブを捨てきれずに疲弊している日本の生産性の低さもあいまって、「正社員がノイズを含む本を読める」状況ではないと分析します。
その中で、「全身全霊で仕事に取り組むってのは、他に余計なことを考えなくて良いので楽」(意訳)という言葉が出てきます。その後には「全身全霊は考えなくていいので楽だけど、持続可能ではない。身体もメンタルも壊す。仕事に全身を掛けたら家庭には力を入れられない。逆もしかり。だからこそ、全身全霊に甘んじてはいけない」というメッセージがあります。
本書の趣旨は、「世間のここがダメ、だから変えよう」というものではなく、読者それぞれの内面に新しい可能性の芽をもたらすものです。
つまり、「週5の8時間勤務でないとダメなのか?」といった小さな可能性です。
単に「正社員たるもの、平日は仕事に全身を傾けるのが普通である」と思い込み続けるのは「楽」です。その楽に甘んじることなく、「ノイズのある読書ができる生活を目指してみませんか?楽じゃないけどね。」というのが、本書のメッセージだと受け取りました。
とても面白い、良い本です。おすすめです。
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